Magazine       Chow Sing Chi

脚本がきちんとした正統な喜劇にこそ永遠に残るものがあるんだ
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  スクリーンへの登場とともに若者の心を捉え、「無厘頭(モウレイタウ)」と言う言葉を生み、一躍大スターとなった周星馳。「星仔」(星ちゃん)の愛称で親しまれ、一時期はあまりの人気ぶりに「星爺」(星さま)という名に昇格したほどだった。ルックスは嫌いじゃないし、笑わせてくれるし、頭はよさそうだしで、興味はあったのだが、スター街道ひた走りという人にいまひとつ食指が動かないという悪い癖が私にはある。しかし、出演本数は落ちついてきたし、金像奨主演男優賞にもノミネートされた。時期到来とばかりにインタビューを申し込んでみた。当日、待ち合わせの時間を1時間以上過ぎても姿を現さない彼にやきもきしていると、妙に暗い顔で登場。明らかに機嫌が悪い様子にしり込みしたのだが・・・。
あの、とってもお疲れの様子だけど・・・。
:待たせてごめん。医者に行っていたんだ。(腰に手を当て、顔を歪めて)ちょっと腰を痛めてね。
撮影で?
:いや、ちょっとね・・・(沈黙)。
あー、では、さっそく始めましょう。上海人ということだけど、生まれは香港?(星仔、頷くのみ) 
じゃあ、自分の中に上海文化は?
:(首を横に振って、ポツリと)・・・上海料理は好きだけど。
はぁ、私も。(この時点でかなり先行き不安を感じ始める)  
子供の頃も人を笑わせるのが得意だったのでしょうか?
:いや、すごく静かな子だった。父親が言うには、窓のところで外をじっと見ていたって。今も口数は少ないけど。
いや、今日は喋ってもらわないと困ります。
:(唐突に笑って)よし、努力しよう。
学校を卒業してすぐテレビ局の訓練班に入られたようですが、俳優になりたいと思った動機は?
:中学の頃、教師の真似をしたら、みんな喜んじゃって。
人の注目を浴びた初めての経験というわけですね。勉強の方は?
:からきし。だから、卒業してもどんな職業に就いたらいいのかわからなかった。友達がお前は面白いと言って煽るもんだから、本来は静かな子だったのに、物真似とか結構イケるんじゃないかって(笑)
テレビ局の入試に物真似は?
:なかった(笑)。面接でちょうど今みたいに、あなたみたいに沢山じゃないけど質問されて。(あたしゃまだ何も聞いていないわい、と思いつつ続きを促して)どちらかというと、容姿を品評される感じだね。で、僕は背は高くないし、ハンサムじゃないし、結局落ちた。
へ?
:その後、既に訓練班に入っていた友達が「どうかもう1回だけ、アイツにチャンスをやってください」と頼んでくれて、つまり裏口(笑)。
最初の番組が有名な幼児番組の『430穿梭機』ですね。友達が面白かったと言ってました。
子供好きを買われての指名とか?
:子供はね、嫌いじゃない。でも、演技に興味があったから嬉しくはなかった。あの番組で可愛い子供ばかりじゃないことを知った(笑)。母親の苦労が初めてわかったよ。
あら、静かな子だったなら大した苦労は・・・。
:姉妹がいて。全員が静かなわけじゃないから。
女系家族?
:父親は一緒に暮らしてなくて。お婆ちゃん、母親、姉に妹。口数が少なくなるのもわかるでしょ(笑)
クソガキも含めた子供たちに毎日囲まれて、それでも5年間『430穿梭機』を。
あの番組で何か得るものはありましたか?
:実を言えば、現在の僕全てがあの番組のおかげ。プロデューサーが自由にやられてくれて、というか、下駄を預けて来て(笑)。30分間、脚本はあるけど毎日似たり寄ったりで。だから毎日、自分で工夫を凝らした。それを5年間だもの。創意工夫の能力を磨いたよ。
そういう能力を身に付けたのなら、すぐ製作方面に転身しても不思議ではないけど、やはり俳優業に。
最初のテレビドラマはどんな役でしたか?
:えっと、『哥哥的女友』というドラマで、僕の役は兄貴の恋人。
ハ?ちょっとちょっと。
:あ、違う違う。兄貴の弟だった(笑)
もう、驚かして(笑)! つまり、あなたは弟の役で、お兄さんの恋人に横恋慕するわけですね。
:そうそう。可笑しかったのは、僕もドラマは初めてで、監督も初めての演出だったんだ。二人して何をしていいのかわかってない(笑)。で、その監督ったら、コップを見つめるという簡単なシーンで何十回もNGを出すんだ。そのたびに「あー、コップを見る前に天井を見上げようか。うん、それからペンに目を落とそう。そうそう、そこで物憂げにして。顎に手をやろうよ。一瞬目をつぶって。で、コップにゆっくり視線を」とか言うわけ。それでいい加減、一体どうすりゃいいんだあ!ってところで「あ、やっぱりすぐコップ見て」(爆笑)
いい加減にしろって言う感じですね。
:でも、その時思ったんだ。なるほど、本当は僕は全く演技ができないわけねって(笑)
監督が未熟で、あなたの演技力を引き出せなかっただけでしょう。
:いや、実際のところ、見事にダイコンでした(笑)。落ち込んだけど、2本目はましだった。3本目はさらに。どうにか自信がついてきたところで映画出演が決まった。
李修賢(ダニー・リー)から声がかかったのですね。彼はどうしてあなたを?
:テレビで僕を見て、なんか無性に殴りたくなる奴だと思ったらしい。それで『霹靂先鋒』に、とにかく顔を見たら誰もが殴りたくなるようなキャラクターが必要になって、アイツしかいないということになった。本当の話だよ(笑)!でも、彼は確かにいつどこで会っても僕の顔を見てすごく怒ったような顔をしてたんだよね。
初めての映画出演は殴られ役。その時の気持ちは?
:嬉しかったよ。まず、ダニーにはチャンスをくれたことを感謝している。どんなに能力のある人間でも、チャンスが巡って来ないことがある。チャンスを与えてくれる人がいるということの大切さが身にしみてわかった。

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 省略
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'90年という年はあなたがスターダムにのった年で、11本も撮っていますね。
'90年というあの1年で得たもの、失ったものは何?
:得たものは経験。失ったものはベッドでの睡眠(笑)。寝るのはいつも車の中だった。そして食事はいつも撮影現場でランチ・ボックス。
ある時期、あなたはとても疲労しているのじゃないかと感じた。
もちろん、あくまでも想像だけど、もしかしたら引退とか考えたりしているのではないかと・・・。
:いや、引退は考えなかった。ただ、休みたかった。でも、休むといっても、今1ヶ月休んでいいと言われて、ああウレシイ!っていう休みじゃなくて。なんて言うか、僕にとって映画は生活になっている部分がある。いろんな本を読んだり、面白い人と出会ったり、、、。そういう全てを自分の中にため込んで、設計し直して自分の演技に取り入れることを僕は常にしている。だから休暇をもらっても、本当に頭が映画から離れることはないんだよね。で、人間は機械じゃないし、いや、機械だって酷使していれば壊れる。壊れたら直せばいいわけで、その直す期間っていうか。
直ればいいけど、直らなかったらどうします?
:捨てなきゃならない(笑)
どの時期が修理中でした?
:明確にこの時期というのはない。ずっとこまめに修理はしていたかな。
呉孟達(ン・マンタ)とのコンビが続いたけど、彼との関係を少し聞かせてください。
:テレビ時代から知っている。偶然コンビみたいになったけど、お互い楽しんだ部分はたくさんあるね。
最後に、ゆうばり映画祭に招待されましたね。どうでした?
:寒かった・・・。
映画祭の印象を聞いているんです(笑)
:『西遊記』のプロモーションと審査員として新人の短編フィルムを10本くらい観た。これはすごくいいことだと感心したね。香港にはこういう、若手を発掘したり、育てたりというイベントがどうしてないんだろう。
確かに。でも、そう思うなら、あなたが企画して実現させては?
あなたほどの影響力を持っていれば難しいことではないのでは?
:・・・・・・承知しました。必ずや(笑)。
  最初はどうなることかと思ったが、話すにつれ、腰が痛いのはウソでしょ、というほど陽気に。活字にすると、臨場感がうまく伝えられなくて断念だが、妙な突っ込みを入れる時の表情は映画の顔と大差なく、つい笑わされる。しかし、聡明な人という印象は予想通りだった。理想のコメディー映画を作るために、監督業は続ける意志とのこと。彼が心の中に描く映画の出演を切に望む。

笑顔

下向き びっくり
かなり古い記事です(1996年)。もう既に読みましたという方、申し訳ないです。(^^ゞ